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実験犬シロのねがい
既に東京都では保護された動物たちを実験へ払い下げることはない。私が子育てに四苦八苦している時に多くの人たちの声から動物実験に払い下げることを東京都は廃止していたのだ。
早速子どもに読んで聞かせる。卓也くんという男の子の飼っているメス犬エルフの産んだ子犬の保護先を卓也くん自身で4人も見つけたことに感動した。今ではネットで全国各地の里親さん希望者に声をかけることはできる。だが、卓也君はありとあらゆる方法を考え実行し、5匹いる中の4匹を里親にだしたのだ。自分の力で。その年、11歳。本当に書かれているように動物を心から愛し、大切にできる素晴らしい少年だ。
そしてその残った1匹チビが保健所へ連れて行かれたところから私は読む声が震え始める・・・。
私は実家に居た時も、今までも保健所などに動物を持ち込んだことはない。ポリリンを飼うことが決まったとき、旦那はうさぎのうーたんを誰かに預けたほうがいいと言っていたが、命をまっとうするまでうちで面倒見るのが筋だろう、子どもに見せる姿だろう、と反対したのだ。私はこの本を読んで自分自身の行動を悔やみ、うなされることはないだろう・・・・。
保健所へ連れて行かれ、引き取り手がない動物たちは・・・。
安楽死という虚名の、もがき苦しむガス室に入れられ「処分」される。そして選ばれし動物たちは、化粧品や薬品や外科医などの実験のために「実験動物」として、その命が運ばれる・・・。
読み進んでいくうちに涙が止まらなくなる。でも子どもたちは耳をふさぎながらも聞いている。賢いはずの人間がどれだけ命を無残に食いつぶしているか。手当てもされず、体が回復してはまた実験に使われる。人間の知能はそんなところに使ってもよいのか、そんなもののために知能は発達してきたのか。命を大事にと教えている大人が公開されないことをいいことにそんなことをしていていいのだろうか。
保健所で働く人の苦しい思いが胸を押さえる。心がしめつけられる。保健所で働く人、みほさんと村山さんはこう言っている。
「わたしは、ここの仕事をしながら、いつも考えてるの。大人は、子どもに、うそや、ごまかしをいわずに、大事なことを、きちんと説明して、動物たちが、どんなに、つらい思いをして、人間につくしてくれてるかを、わからせなきゃって。人間が、動物をかわいがるんじゃなくて、動物が人間のために、つくしてくれてるってこと。そういう考え方をする子どもが大人になれば、ここにペットを送り込む人もへってくると思う。」
また村山さんはこう言っている。
「肉だってそうだよな。おれなんか田舎育ちだから、ニワトリをしめるのは子どもの役目だったんだ。けっこうかわいい鳥なんだが、肉にしなきゃなんない。『ありがとよ!』ってんで食べるんだけど、今は、肉は肉屋で売ってるただの肉だもんな」
私は子どもが小さい頃、よく言っていたことがある。出された食事を残さないよう、ありがたく食べろと。
人様の家でだされたものも、その人は一所懸命に作ってくれたものだ。どうしても口にあわず食べられなかったら「ごめんなさい、おなかいっぱいです」と言えと。
そうして、今目の前にある肉は元は命ある動物だったのだ。その動物の命を私たちはいただくのだ。大事な命をいただくことを忘れるな、感謝の気持ちを持とう、と。どうなんだろうか、この話で子どもたちはあの頃の私の話を思い出してくれただろうか。
実験犬シロの話が深く深く心にしみてくる。子どもたちも涙が止まらない。どんなにつらかっただろう、うさぎも実験動物の格好の対象だったなんて、自分がその立場だったらどんなに苦しいだろう・・・。
シロやメリーは動物保護のボランティアの人たちに救出され、2匹とも回復へ向かう。動物愛護・・・何気にその言葉は知っていたが、ポリリンとの縁でその活動が少しずつ私の中に入ってくる。その活動は本当にすごい。その情熱は多くの人たちの心を正義への動かす。
これでシロやメリーはハッピーエンドかとほっとしたのだ、ところがシロは・・・・・。
小学校中学年以上向きのこの本。私は世間にとんと無知であったためにしらなかったのだが、この本と出合えてよかった。この本を読んで涙を流した子どもたち。きれいな心をしっかりと持って少しずつ大人になってほしい。
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